みなさん、こんにちは。まーぴーです。
前回は、私が体験した新型コロナウイルス後遺症(その2)を読んでいただきありがとうございました。今回は、コロナウイルス後遺症が現れ始めた1月初旬から2月中旬にかけて出ていた睡眠障害についてお話ししてみようかと思います。どうしてもそれ以外のお話も絡むので、ちょっと長いかも。
みなさん、お久しぶりです。
ちゃーぴーです。うちのママ、1月19日に倒れちゃって。ちゃーぴーも1月18日にコロナやインフルではなかったけどひどい風邪って診断されて、結局微熱も続いて1週間も学校を休んだの。
ママ、ほんとにものすごく寝てたんです。1週間ちゃーぴーも家にいたから、ご飯の時はちゃーぴーが起こしてあげたらなんとか起きてたけど、食べたら毎回すぐ寝ちゃって。心配で仕方なかったよ。
ずっとずっと眠ってるママをタブレットで写真撮ったけど、ほとんど様子が変わらなくて、眠り続けてほんとに不安しかなかったんだよ(実際のちゃーぴー談)
様々なコロナの後遺症を時間の流れとともに経験しましたが、今回は主に睡眠障害についてお話したいと思います。
罹患後最初は、1ヶ月程、気管支炎や喘息など咳症状が酷くて眠れなかった
新型コロナウイルスに罹患して、1週間自宅療養をしていた時は、咳や鼻水もそれほどひどくなく、睡眠もしっかり1日に7−8時間は取れていました。個室に隔離していたこともあり、日中も眠る日もありましたが、本を読んだり、スマートフォンをしたり、タブレットで絵を描いたりそんな感じでした。
前回お話したように、罹患療養があける頃、12月29日に再発熱、異常な倦怠感、疲労感、そしてその他諸々の症状が一気にぶり返し始めた頃から、喘息症状も出るようになってきて、だんだんと咳や喘息発作で夜中に何度も目が覚めて熟睡できない状態になっていきました。
咳や喘息症状の他に、全身が燃えているというか、火照っている感覚も常にあって。検温しても36.8℃くらいしかありませんでしたし、平熱と変わらないんですがそういった全身の火照りから寝付けず、真冬なのに滝のような汗をかいていました。(元々ものすごく冷え性でヒートテックを着ても、まだ手足の冷えで眠れず、それで人参養栄湯を飲んだり、カイロを2−3枚貼っても寒いという状態)
1月19日の午後、体調絶不調にて早退することに
薬局内クラスターが起こって体調が絶不調の中、仕事の時間や量が増えたり、家族2人がひどい風邪を引いたりでとにかく、生活がバタバタしていたことも相まって、1月19日の朝の時点で全身の関節の痛み、運動もしていないのに筋肉痛、とにかく体がだるくて、普段5ー10分位で終わる化粧に30分もかかったのに、結局関節が痛くてうまく手が動かなくて左右の眉の描き具合がおかしいとなっていました。
そんな、なんてことないことなのに、それまでに色々と体調不良が立て続きに起こっていたので、そんなことで激しく動揺して、私の体はどうなっていっているのだろうと不安しかありませんでした。
普段なら問題ない仕事量や出来事です。でも当時の私にはその程度でも厳しかったです。
とりあえず溜まりに溜まった薬歴を片付けるために仕事に行き、その日から確か管理薬剤師さんはコロナの療養をあけて仕事復帰されていました。私はよく回らない頭の状態で、2日半位溜め込んでしまわざるを得なかった薬歴を書ききったのですが、
とにかく手指の関節に激痛が走って何度も打つ作業を止めなくてはなりませんでした。
おかしいほどの責任感の強さと真面目さと記憶力の良さだけは自信があったのでなんとか書き上げて、周りの人が困らないように仕事を1個ずつ片付けたものの、それ以外の仕事なんてその時はもうできませんでした。
(でもその頃から記憶障害や集中力低下もあったので色々と何か抜けていたことはあったかもしれないけど。。。)
日中15時間眠るということ
私は昔から不眠傾向であるとか、逆に過眠しないと無理とか、睡眠に関する悩みがほとんどないです。
大体コンスタントに7時間くらいは眠れてしまう人。でもたまに悩み事があって悩みすぎると年に1、2回くらいは一睡も出来ない日がある程度でした。
19日の昼までで仕事を終わらせて、「どうにもこうにも体調がおかしいので早退させてください」と話して帰ってきたのですが、家に着くまでもなかなか時間がかかりました。
とにかくぼーっとするとか、全身が痛いとか、よくわからない不調のオンパレードに自分でもどうしていいか判断もつかないほどしんどくて、車の運転も困難に近い状態でしたが、無理やり気合いで帰るという(危険なのでやめたほうがいいです。)
通勤時間20分くらいですむ距離なのに、頭がフラフラしたり、ぼーっとするので、ところどころコンビニの駐車場に入って休み休み帰ったのはなんとなく覚えています。家に着くまでに倍くらいの時間がかかりました。
家では、一応隔離していて元気な母は下の部屋にいましたが、風邪で高熱の父は別室で寝ていて、まだ微熱のあったちゃーぴーは自分の部屋で寝ていて、
「ママ、どうしたの?顔は真っ青だし、ものすごくフラフラしてる?大丈夫?」と言われました。
「とりあえず迷惑かけないようにカルテ全部書いて帰ってきたんだけど、もう何もできなさそうだし、この体の状態無理かもしれない・・・」
と話して、その後布団に倒れ込みました。
娘に聞いたところ、私が眠ったのは13時半過ぎだったみたいです。そこから母が晩ご飯を用意して、私の部屋に持ってきてくれるまで、18時過ぎまで死んだように眠り続けました。
とりあえず何も食べないとよくないと思い、食欲は実際あって、むしろ普段は少食で胃下垂であまり食べられないのに、食べないとこの体をもう維持できないような力がスカンと抜ける感じ、もしかしたら死ぬかも?位に感じてしまって、なんか恐怖心を克服するために、たくさん食べてましたね。
いつもなら消化不良を起こすのに、たくさん食べてもお腹が異常に空いて、発汗して、代謝してるのか体重が減っていく感じでした。(実際減っていました。身長が164cmくらいなんですが、12月末に48kg近くあった体重が1月21日に45.5kgまで減少。その間、普段よりも食事量が増えていましたがみるみる痩せていきました。)
ただ、寝て起きたら筋力低下がさらに進んでいるような???
あとは血流が体の上部に行ってないような感覚というか、頭がグラグラ、体はフラフラして、血圧がかなり下がっているような感覚というか正直10分座るのも難しい状態でした。
10分座ると気持ち悪くて、嘔吐してしまうことも。
食事する時は少しクッションを背中の方に重ねて、体をなんとか起こして少しずつ人に食べさせてもらう感じだったかなと。長く座れないので疲れたら横になり、それを何度も繰り返す状態でしたね。
父はその時まだ風邪で高熱(高血圧、COPDあり、かなり痩せている)で隔離、
母は元気だけど基礎疾患に脂質異常症もあるし、
ちゃーぴーは微熱があってまだまだしんどそう。でも明らかに心配されている。
自分のことは自分でやりたいけど、とにかく体の自由がきかない。。。
そんな中で、娘は私にご飯を食べさせてくれました。その日から4、5日は本当に介護されている状態でした。彼女を決してヤングケアラーのようにしたかったわけではないのに。
ご飯、トイレ(四つん這いでハイハイする感じで、時間をかけてなんとか行く状態)以外はほとんど眠って過ごしました。夜の睡眠7時間にプラスして、日中はトータルで15時間は寝ていたと思います。
でもそれだけ眠ってもまだ眠りたい、眠り続けたい。体が睡眠を欲しているようだと感じていました。
(今の自分なら、そんなに寝ていたら背中も腰も痛くて不快だけど)
ご飯を食べさせてもらって、あっという間に眠ってしまう。そしてまたご飯の時間が来たら、母や娘から「起きれる?大丈夫?ご飯だよ」と言われてなんとか目は開ける。そして、また食べさせてもらう。そんな状態は地獄だと思っていました。
「なんでこんなことになったのか?」と。
「私は何か悪いことしたのかなと。何の試練だろう???、これ」って。
でも、常に思っていたのは、
これが『私の身だけに起こったことで家族に起こらなくて良かった』と思っていました。
そして、ご飯を自分で食べられない、何もできなくなった自分のことで、家族に迷惑や心配をかけていることを、ものすごく申し訳なく思っていましたが、自分の体が一気にそれまでの自分ものと変わってしまってどうして良いか戸惑うばかりでした。
過眠状態から今度は不眠状態へ
1月22日頃になり、なんとか体を起こせるようになったものの、常にフラフラとしていて、自分が自分ではないような感覚でした。見えない膜に何重にも包まれているようなふわふわと浮いてるような感覚。魂が半分体から出ているような。シャキッと自分がありますという感覚ではない。
それでも布団に横になりながらも、この状態をどうしたらいいのかをずっと考えていました。座ってスマートフォンで調べようとするとやはりふらついて無理でしたが、横になった状態だと少しはマシでした。でも、ぼーっとしたり、記憶が飛んだりしながらも、後遺症なのだろうな、これは。。。と思いながら色々調べていました。とにかく調べ物は寝た状態で短時間で(笑)途中眠ってしまって、起きて調べてと繰り返していました。
1月23日ネットで隣県に後遺症外来がある大学病院があること知りました。
1月25日になって自分が住んでいる市の健康センターや県のコロナのセンターに電話をしてみましたが、どうにもならない現実が待っていました。
「コロナの後遺症かと思われる症状があって、たとえばこんな症状とか、あんな症状とか、、、、それで市内に診ていただける後遺症専門外来は今でもないですか?(複数の患者さんからないと休職前に聞いてはいた。)」
市の職員さん「あ〜、そういうことですかぁ〜?、うちじゃぁ、分からないんでぇ〜、「県」に聞いてくださいね〜、「県に!」お電話番号言いますね、⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎・・・それじゃ、ガチャ」
いきなり、電話切られた・・・(涙)嘘だよね。。。
県の職員さん(おそらく看護師さんか保健師さんか)「・・・そういう症状があるのでしたら、それに対応する病院さんに行っていただいて・・・検査していただくとか。甲状腺の異常がないかとか、糖尿病ないかとか色々あると思うんですよね」
「すみません、多彩な症状があって、どこに行くのがいいか自分でもかなり体調が悪くて頭も回らないし判断がつかないからお電話しているんですが。。。元々12月にかかりつけの婦人科で検診を受けた際に、右の卵巣嚢腫が大きく成長しているのでと言われ、嚢腫を摘出することになったんです。自分は、治療はいらないけど不整脈もあるし、歯科麻酔でショック症状起こしたこともあるし、合わない薬も多かったりして、術前検査として心臓の検査をしたり、採血もして甲状腺や糖尿病は問題ない、肝機能、腎機能も問題ない、強いていうならば、軽度の貧血がある程度で。最低限、除外できるような、今分かる範囲での検査はすでにしているんですよ。」
「あ…。そうですか。でしたら、食事をしっかり摂っていただくとか、運動していただくとか…しっかり眠っていただくとか…。そういう基本的な生活部分を整えていただい・・・」
「えっと、、、今息切れもひどくて、声も小さくてすみませんけど、食事は野菜も肉も魚もバランスよく食べています。母が用意してくれていて。日中眠すぎて、体力を維持できなくて15時間、夜の睡眠とは別に眠りたくなくても眠ってしまっています。運動はしたくても無理な状態です。10分座るのも一苦労で立ち上がるのもふらついているので。頭痛や吐き気、記憶が飛んだり、座って本が読めない、理解できないとかその辺りもあるんです。だからお電話してるんですよね。。。どこに行けばいいのか。どうしたら治るのか。今話されているあなたに詰め寄っても仕方のないのは分かっていますが、私も1ヶ月前までは健康だったので。。。」
「・・・すみません。それだけやられているのならば十分です。私に言えることはもうないです。隣県の後遺症外来に行くなどしか。。。」
「すみません、変に気を遣わせてしまって。なんとか調べてみますね、ありがとうございました。。。」
そんな会話でした。
当時、県内の感染者も1000人を超えている日もありましたし、私のように後遺症だったり、不安でお電話される方も多かったんでしょうね。とにかく早く電話を切りたがる職員さんたち。お電話に出られた方々にも分からないことが多かったのかなと思います。仕方なかったけど、世の中から「あなたは要らない」と取り残されたような思いで、電話を切った後に、大人なのにワンワンと泣いてしまいました。
それか、もしかしたら電話の向こうの私がこんなに困っているとは彼女たちは想像もしていなかったかもしれません。だって、当時もオミクロンは罹患しても大したことないと報道されていましたし。私もまさか自分がこんなに不自由になると想像してませんでしたから。
それぞれの会話の流れをなんとなくスムーズに書きましたが、実際は私は30秒も続けて話せないほどに息切れが酷かったのです。そしてブレインフォグのせいもあってか、普段使っている日本語なのに、相手が言っている言葉が早すぎに感じて理解できないことが多々ありました。その位、脳の理解力、頭の回転など全ての機能が激しく落ちていました。
(おそらく今聞けばすんなり理解できる普通の速度だし、内容です。)
息が切れながら、意識的に呼吸を整えながら「何度も聞き返してしまってすみません。今の状態になってから息切れしてうまく話せませんが私の声は聞こえますか?」
「今のコロナの後遺症のような状態になってしまってから頭のスピードがゆっくりなので、もう少しゆっくり話していただけませんか?」
とよく電話では相手の方に話していたように思います。それでも相手はそんなことないだろうな感じでだんだん話すスピードが早くなっていたような気もします。
どうにもならない現状に、そして解決策がない状況に不安で押しつぶされそうになっていて、この頃から1日3時間くらいしか眠れなくなっていました。
後遺症の症状の治療のためのきっかけはかかりつけの医師だった
市や県に電話した後、1月31日になって、ダメ元で耳鼻咽喉科の先生に受診して相談しました。理由は、隣県の大学病院の後遺症外来のホームページを見たところ受診するにあたっては医療機関からの予約と紹介状が必要であること(個人からの予約は受け付けない)、そして、市や県に相談してみたが、何も解決しなさそうな状況があったためでした。
まず、これまでの体調変化の記録を紙にまとめてきました。これを見ていただけませんか?その上でご相談が。。。先生が耳鼻咽喉科がご専門なので、これまで副鼻腔炎や後鼻漏、気管支炎、あとは喘息なども合わせて相談してきたのですが、実は倦怠感や疲労感、ブレインフォグ、不眠など様々な症状が出ていて。これは、コロナの後遺症かなと自分では思っているのですが、どこに相談しても正直、門前払いの状態でして。。。隣県の大学病院で後遺症外来があって、そちらだったら何かわかるかなと思って受診したいんですけど。。。
うんうん、治療の継続とともに、もしかして後遺症外来の予約と紹介状をお願いしたいってことかな?今日いらっしゃったのは。とりあえず、うちの県では今は後遺症外来専門ってのはなさそうだし、一般のこの辺りのお医者さんじゃ診てくれないかもね。僕だって後遺症について詳しく分からないけど、この体調のメモを見る限りでは、限りなく慢性疲労症候群の症状に近いよね。とりあえず、大学病院には予約できるか聞いてみてまた連絡する。紹介状は書いておく。お仕事は難しそうなら休めるように診断書も書くけど。。。対症療法しかできないけど、僕でよければやるよ。どうかな?
休職前、私が対応してきた周りの患者さんは、どの病院に行かれても、薬局に行かれても「そのうち治るから、咳止め飲んでおいて」とか、「微熱もそのうち治るから、また何かあったら来て」とかそう言われている人ばかりでした。
コロナ後遺症はまだまだ未知の部分も多く、当時は罹患する人を診察する方に医療機関が手一杯だったのもあり、正直仕方なかったかもしれません。
対症療法をしてくださると耳鼻科の先生が言ってくださり、大学病院の後遺症外来につながったことは、それからの私にとって大きな一歩だったと思います。こちらの先生には自分が薬剤師であるというのはもう8年以上前から伝えていて、かかりつけにさせていただいていたので、お薬の相談もしっかりできましたし、本当にお世話になり助けていただきました。
抗不安薬や睡眠薬などは望まなかった
眠れなくなるとともに、また次回以降に書きますがブレインフォグの状態、集中力低下や記憶障害、頭痛、それに伴う吐き気などの症状もどんどんひどくなっていっていました。
不眠の状況も一定ではなく、2時間くらい寝付けない日もあれば(入眠障害)、次の日は逆に中途覚醒で朝3時ごろ目が覚めて、そこから布団にいても一睡もできないなど毎日違いました。
1月12日に喘息発作、副鼻腔炎による後鼻漏、気管支炎がひどくてクラリスロマイシン200をもらってずっと朝夕食後で内服していました。(副鼻腔炎に対しては、以前はレボフロキサシン500を服用することもありましたが服用後3、4日後に筋肉痛(+)したことが過去に2度あったので先生と相談してやめました。ミノマイシンも回転性めまい歴もあり、何かと副作用歴があるんです。)
1月31日頃にはようやく1ヶ月くらいかかって少しずつ後鼻漏が改善し始めましたが、まだすっきりしないため、分1に減らして継続することに。(マクロライドの少量投与による抗炎症作用や免疫調整作用ですね。この時ほど、クラリスロマイシンが体にしっかり合っているのだなと感じたことはこれまでになかったです。)
不眠状況が続いてきていて常に頭はぼーっとして、でも目はランランとしていましたが、睡眠を改善するためにお薬をもらうかどうか悩んでいました。
どうしてもクラリスロマイシンを飲んでいるということで、CYP3A4阻害(他の薬の代謝を邪魔するので作用が強く出たり、弱く出たりすること)があることは気になっていて。
飲み合わせを考えることが面倒だなと。これだけクラリスロマイシンを続けてきても、普通の風邪や副鼻腔炎と比べると回復の速度がものすごく遅かったコロナによる諸症状。。。クラリスロマイシンはまだまだ続けないといけないかもしれないし、そして何より、入眠障害だけではないし、中途覚醒もあるしと、なんだか睡眠状況に統一性がないためどうして良いのやらと悩みました。
薬の副作用も出やすい体質であったので、それらを総合して考えると、
スボレキサントはクラリスロマイシンと併用禁忌、
ラメルテオン、レンボレキサントは併用注意。
相互作用の問題ではなく、自分が副作用が出やすいことからは、昔肩こりでエチゾラム飲んだことあるけど、そういう中枢神経を抑制する何かでフラフラして大変だったなとか(オロパタジンやクロルフェニラミンでもフラフラするくらいです)
と、色々長く考えていると吐き気やら頭痛、頭の締め付けで体調も悪くなるので長時間考えたくなくて。
体の炎症が治れば、不眠も改善するのかしらと思ったり、もう少し辛抱するしかないのかなと思っていました。
耳鼻科の先生と相談して、効くかどうかは分からないかもだけど、甘麦大棗湯飲んでみる?となり試してみることになりました。
劇的に効果があったかは不明ですが、以前から漢方薬は比較的効くタイプだったのでやってみようと。
人参養栄湯をコロナにかかる前から、元々気血両虚改善の目的(体力がなくて貧血になりやすい、疲れやすい、手足がいつも冷たい、冷えが強いなどの改善)で飲んでいたのですが、甘麦大棗湯を足すことになってからは人参養栄湯を1日3回飲むことはやめました。
理由は、ともに甘草を含むため低カリウム血症が怖いなと。
1日量(7.5g)中の甘草;人参養栄湯1.0g+甘麦大棗湯5.0g=6.0g/day
もちろん個人差もあるのだろうけど甘草の摂取量が2.5g/dayを超えると低カリウム血症が発現しやすくなる可能性がある)分3で飲むことには抵抗がありました。それで服用量を調節しました。
薬をもらって最初、人参養栄湯を一時的にやめて甘麦大棗湯を数日間、1日3回飲んでみたこともあったのですが、その時の私には効きすぎたのか?ものすごく眠くなってしまって、また布団とお友達に(笑)
朝昼を人参養栄湯、夕食後に甘麦大棗湯にしてみて様子を見たところ、服用から3週間くらいで不眠は改善してまた7時間くらい眠れるようになりました。ちょうどその頃、体の火照り、異常発汗なども落ち着いてきていたので、体の炎症が治ってきたのもあるのかもしれません。
どうにもならない状況、先の見えない状況に対して、イライラや不安があったので、それらを和らげる作用、不眠を改善する作用があるというのはその頃の私の状態にはぴったりだったのかなと。
漢方薬は体に合ってなければ効かなかったり、害になることもあるけれど、あそこまで効果がしっかり感じるのだと体験したのは久しぶりでした。
(初めて効果すごいなと感じたのは、補中益気湯)
※漢方薬について名前が色々出ていますが、漢方は漢方薬と体の相性が重要なので、私が飲んでいたものが万人に合うというわけではありません。