エッセイ

私が体験した新型コロナウイルス後遺症(その2 症状の時系列と倦怠感・疲労感)

薬剤師まーぴー

こんにちは、まーぴーです。

前回は私が体験した新型コロナウイルス後遺症(その1)を読んでくださりありがとうございました。もし読んでいらっしゃらない方がいらっしゃいましたら前回のブログを読んでみて下さい。

今回は、後遺症症状がどんな時系列で現れたかということや、コロナ後遺症で経験した倦怠感・疲労感についてお話ししてみたいと思います。

体験した自分の後遺症症状を時系列に図にしてみた

新型コロナに罹患してから5ヶ月近く、後遺症が出て倒れてから4ヶ月近くになりますが、ようやくどのような経過だったか全体像が見えてきた気がします。何より、心の余裕も出てきたので、これまでの経過をまとめることができています。

色々書いていますが、正直1月、2月の記憶ってほとんどないんです。

でもたまたまなんですけど、私は昨年12月の初旬に定期的に受診している婦人科で

「右の卵巣が腫れてきてピンポン玉くらいのサイズになっているから卵巣嚢腫をもう経過観察ではなく切除した方がいい、茎捻転する前に」と言われていました。

その手術を受けるためにもコロナ禍であることも関係して、体調管理として検温して数値を管理したり、今日はどんなことがあったかとか、娘の習い事があって外出したとか、そいういう記録をつけていました。(普段そんなにマメではありません。)

そこからコロナ後遺症になったこともあり、記録をつける習慣はそのままついていたので、その記録を頼りに今の体験記を書いています。

前回、経験した症状をざっくりと表にしましたが、全ての症状が一気に出たのではなく、以下のように少しずつ変化しながらでした。

※上記のような様々な症状がたくさんあったので実は味覚障害、嗅覚障害もあったのですが、焦げた味とかガソリンの様な味ではなく、普通に食事は食べられていたのでいつ発症か不明です。3月中旬に後遺症外来の先生に電話再診で、先日の採血の結果、亜鉛低下しているけど味や匂いは?と話され、そう言えば好きな紅茶やハンドクリームの匂いがわかりにくいし、好きだった酸味や辛味は苦手になり、嫌いだった苦味は美味しいと最近感じますと話しました。(亜鉛製剤を追加しました。5月17日現在味覚も嗅覚も元に戻っています。)

異変を感じ始める

家にパルスオキシメーターを購入していたので毎日測定していましたが、時々SpO2は98くらいになることはあっても概ね99を示していました。実際にコロナに罹患していると判定された2022年12月21日から28日までの罹患療養中は、熱は最高でも検査された21日の37.5度程度までで、それ以外の日は36℃台を推移していました。熱以外の症状に関しても呼吸苦(ー)、食欲(++)、軽度咳嗽(+)睡眠OK、副鼻腔炎からの中耳炎、後鼻漏(+)その程度でしたが、それも診断された時にいただいた薬を日々服用して改善していました。

12月29日から仕事復帰するというお話だったので、療養があける頃、28日の午前中に家の周りを1.5km位娘と歩きました。1週間家族とは離れて個室で寝て、隔離をしていたこともあり、かなり体が鈍っているなと思っていました。それを多少改善するためにブラブラと歩いてみようという気軽な気持ちからの行動でした。

体調に異変があったのはその3時間後くらいからです。

ちょうどその日、娘の学校の担任の先生が家まで成績表や冬休みの宿題を持ってきてくださるお話になっていました。私が21日に罹患したため、また先生もご家族がコロナに感染された後、罹患されたことで共に療養期間に入り、娘は学校に行けなかったので色々と滞っていたためでした。

夕方4時ごろ、先生が自宅までいらっしゃったのですが、彼女の2学期の学校での様子やお互いの体調の話、冬休みの宿題のことなど玄関でお話ししている途中から、

話しているとやたら動悸がするな。心臓の音ってこんなに大きかったかな。

マスクして今、話をしているけど、前からこんなに息苦しかったかな。

100m走を10本位連続で走った直後なんじゃないか位苦しいな、今

(実際そんな走れない。走るのが一番嫌いな活動)

と感じました。

先生が帰られた後、パルスオキシメーターで測定しても99

熱もないし。でも動悸や息切れは何なんだろう・・・?

でも気のせいだろうなと思っていました。

12月29日朝 私の体は鉛の体になった

気のせいだろうと思いながらも、動悸や息切れなどの症状は夜になっても消えてなかったので早く寝ようと思って28日の夜は早めに寝ました。

そして朝になり、目を開けたのですが、嫌な予感というか、何だろうなこれという感覚に陥りました。

・・・体・・・・めっっっちゃ重いな

・・・・・なんだろうな、この布団に縛りつけられる感じ・・・・・

何かに上から乗られているというか・・・・

それか何かが体の中に入ってきて重さを与え、重力に逆らえず縛りつけられるというか・・・・

あぁ、金縛り???昔1回だけなったことある。。。

いや、違うなぁ。そんな一時的なのものでもなく、なんか、ずーーーーっと重だるいな。

そんな体が重くなる程急に太った?いやそんなバカな。逆やん、少し痩せたんよ。

体重計毎日乗ってたじゃん。

重ーい金属のような・・・鉛が入ってきたっていうか・・・自分の体が水銀位重いっていうか・・・・あぁ、そんな感じ。

まずいなぁ、今日から仕事なんだけど、なんでこんなに起き上がれないんだろう。

そんな風に思っていました。

実際にトイレに行くのにもなかなか立ち上がれなくてどのくらい時間がかかったんでしょうか?

そして、この重だるさに加えて治ってきてたはずの副鼻腔炎みたいな感じ、また悪化している。鼻の奥が痛いし、耳が聞こえにくい。

そして咳が止まらない。ゼーゼー言い出してて、喘息(元々喘息持ちです)みたいな感じになってきた。吸入して、気管支拡張貼らないと。

って、昨日にはほとんど無くなってきていたよね?症状。。。

熱・・・37.5℃?え?

また熱?熱は36℃台だったのに。昨日まで。

息切れひどいし、吸いにくい。でもパルスオキシメーター特に問題ないしな。

結局年内30日まで仕事だったはずですが、起き上がれず、様々な症状が一気にぶり返され、結局年内仕事を休ませてもらうことになりました。その日はほとんど何も食べられず布団と一体化していただけでした。

異常な倦怠感・疲労感とは(私が感じたこと)

コロナの後遺症をテレビで報道する時、インターネットのニュースで報じる時、

「異常な」倦怠感・疲労感と表現していることがあります。

異常なと言っても、倦怠感・疲労感という言葉がそれを邪魔してイメージを軽くしているように感じていました。もちろん、今回の件で、私がそれを経験したから強くそう感じるようになったんだと思います。

12月29日の時点では私は無知でしたが、1月に倒れてから、「これは慢性疲労症候群とかじゃないのかな?」って自分なりに横になったままスマートフォンで調べてみたり(その時点で私が住んでいる周りには後遺症専門外来がありませんでした。最初の感染判定をしてくださった耳鼻科の先生が対症療法をしてくださっていました。後遺症外来への紹介状も書いていただきましたが、予約は3月が最短ですねと言われました。)

あとは3月3日に後遺症外来の先生からME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)の療養生活の手引きというCFS(慢性疲労症候群)支援ネットワークから発行されている冊子をもらった中にありましたが、

激しい疲労感・倦怠感を感じても休養(睡眠、安静を図るなど)をとり、しっかり休むことで、1週間程度で治るならばそれは、生理的疲労(急性疲労)です。

これまでも風邪を引いたり、副鼻腔炎に罹患したり、喘息症状が出たりしても、仕事は行けていましたし、業務に支障はありませんでした。倦怠感や疲労感は、十分自分の体で耐えることが出来る程度のものでした。

コロナの後遺症による異常な倦怠感や疲労感として、

自分が感じたことや経験したこと

・半日働いたらもう息切れや動悸が止まらず。患者さんが来ない合間に椅子に座り込んでしまい、疲れてなかなか立ち上がれない。昼ごはんの後は毎日眠り込んでしまう。(発熱外来と外来を同時に回していて、コロナ感染者も増えていた時期なのでそれなりに忙しかったが、罹患前にはこなせていた仕事量程度なのに)

・体がとにかく重い。重力が増えたのか、私に見えない象が背中に2頭くらい常に乗っているのか、重い金属を体に注入されたのか、体の重さは今までの3倍にも5倍にもなっているような感覚で可能ならば重力が減る月に行きたいと思うほどだった。

・仕事をしていても考えはまとまらず、頭も重い。重さを感じる。薬歴を1枚こなすのに、これまでの何倍もかかっている。日増しに指の関節が痛くなり重く感じるようになり、キーボードを叩けなくなってきていた(ブレインフォグ、関節痛などとリンクしてくる)

・毎日7−8時間眠っていても、朝の目覚めがなんとも悪い。そして起床した時点で、すでに10km位早歩きで休まずウォーキングでもしたのか、100mをやっぱり10本くらい一気に連続して全力ダッシュしたのが24時間中ずっと続いていて疲れているような。

・睡眠を取ったら、体力も回復してるはずが、コロナにかかる前の自分なら寝たら疲れも吹き飛んで、さて今日も1日頑張ろうか?となっていたのに、それが決して思えない状態。そして日々、寝て起きて、仕事して家事して育児して寝て・・・毎日を繰り返していると、だんだん、毎日自分の体力の最大量がどんどん目減りしているような感覚。1日の体力が100だった状態から、倒れる直前は起床時で10もないくらいな感覚。

(その間、特別体をものすごく動かしてるわけでもない。筋トレなどもしませ・・・できませんでした。)

・いつもは例えばしんどくて今日は気合い!って思って頑張っている自分でも、今回は次第に気合いは入らなくなるし、もう無理があるような状態。

頭は体を動かしたくても体自体が全体的に動きにくくなっていた。気持ちで動いていても無理した分が1日2日経ってからしっぺ返しのように不調に繋がってきていた(PEM;post-exertional malaise;軽い労作後やストレスの後、急激に強い倦怠感が出る症状。なんてことない近所への買い物や、ストレスがかかる出来事の体験、喧嘩なども)

それでも無理に気合いを入れて1月19日に早退して倒れるまでの間は、なんとか気合いで仕事に行っていました。

おそらくですが倒れる原因になったのは、

・1月13日に薬局内クラスターが起こり、人員が大幅に減り(薬局内常勤4人中私以外が療養に入りしばらく来れなくなる)、先に罹患していた私は罹患はしていないので、そして会社全体としても人員が足らず仕事は休めず、管理薬剤師的状態。他店から応援をいただく状況だった。

・頭があまり回っておらず、かかりつけをしているお母さんにお薬を渡し忘れていることに週明けに気付いた(トレイに薬が残っていたことすら気づけない状態にあった。)とか、やらなくてはならない施設の仕事をどんどん忘れていて何度か怒られたり、店の鍵を前日履いていた服のポケットに入れていたことに、開店10分前に気づいて慌てて引き返すとか。普段絶対しないようなミスだらけになり、元々あまりない自己肯定感は崩壊寸前だった。自由が利かなくなっていく体に、そしてそんな体をなんとか維持しようとする心に対して、ストレスがすごかった。

・1月18日には、娘と父が同時に発熱し、仕事後フラフラしながら病院に予約を取ったり、連れていく事態(幸い、2人ともコロナでもインフルでもなかった)になり、少し自分勝手な父親がなぜ自分は別便で一人で行かないといけない?もういい!としばらく駄々をこねられた(笑)

→耳鼻科さんも発熱外来対応真っ只中時期であり、当時私も副鼻腔炎による後鼻漏や喘息発作がひどく、日々眠れてなかった。耳鼻科で続きの薬をもらいたかった。あとは鼻汁を吸引してもらう処置などもしてもらいたかった。

私も娘も同じ部屋でいても常にマスク(寝ている時も)をしており、だいぶ離れて寝ていた。父は当時マスクもせず、マスクをしなよと言ってもせず咳をしまくっていた。

例えば父の我儘を聞いたとして3人で1台の車で行き、フルロナ検査をして誰かがインフルやコロナ陽性となれば、3人とも電話での診察に切り替わることになるだろうし、父じゃなくて娘が陽性でも父も十分な診察は受けられない可能性が出てくること。こればっかりは、今何で2人が発熱しているか検査しないと分からないこと、自分も症状をしっかり伝えられず、吸引もしてもらえなくなるので勘弁してと説明したがなかなか納得してもらうまでに時間がかかった。(結局、耳鼻科さんに私が連絡して、娘と自分は常にマスクをしていたこと、距離をとっていたこと、父とは階を分けて生活していて、ご飯の時間もずらしていたことを説明して、3人とも受診できました。)

そういう普段経験しない状況や精神的な疲労が原因だったのかなと思っています。

特に自分の体調がかなりガタガタであったこともあって、心に余裕なんて1ミリも無かったですから。

(倦怠感や疲労感が日々増していたためか、1月12日に婦人科のオペの術前検査として骨盤部単純MRIを受けましたが、あのうるさいMRIの機械の中で私は入った瞬間から記憶が飛んで熟睡していました。今までも頭部のMRIなど受けたことありますがうるさすぎて、イライラしたことがあります。まさか眠るとは思いませんでした。技師さんに大丈夫ですか?もう終わりましたよと何度か起こされました。)

1月13日から18日までの記憶は本当にほとんどありません。とにかくどうにもならなくて、とにかく辛くて仕方なかったという想いだけが今も心に残っています。

スマートフォンの入力で変換も厳しいくらい痛かった。
それでも、自分は今こうなんですと主張して社会から忘れ去られたくなかった。
倒れた翌日の朝のツイート。たった1日しっかり眠り込んだら、
指の関節痛は少しだけ改善していた。体の変化が急速で激しすぎてついていくのに大変だった。

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)という病名は

‘疲労’という名前から誤解されてきた

「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)」は健康だった人が、突然原因不明の激しい倦怠感に襲われて、身体を動かせない程の疲労が6ヶ月以上にわたって継続して、日常生活に支障をきたすようになる病気のことです。

慢性疲労症候群(CFS)の病名に疲労という言葉が入っているので、ただ単に「疲れが溜まっている人」と誤解や偏見、差別を受けやすいため、現在では「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)」と病名が併記されることが一般的になっています。

欧米で19世紀ごろから研究され、英国やカナダでは筋痛性脳脊髄炎(ME;Mylagic Encephalomyelitis)と呼ばれていました。1988年に米国で命名された「慢性疲労症候群(CFS;Chronic Fatigue Syndrome)」が世界的に広がりましたが、結果的に患者さんへの無理解、偏見、差別につながることになってしまったようです。

この疾患はウイルス感染症によるもの、内分泌異常によるもの、免疫異常によるもの、自律神経失調説など様々な学説がありますが、原因は不明です。(脳内の炎症とも言われています。)

治療法も確立しておらず、一般の保険診療で認められている血液検査やCT検査、MRI検査では異常が認められないことも多く、診断の難しい疾患であり、また全国的にも専門医が極めて少ないので発見が遅れがちです。真面目で頑張り屋の方がひどくなりやすい疾患とも言われているようです。重症化を繰り返し寝たきりになることもある疾患です。2月末くらいまでPEMの状態を繰り返していて、どうしていいか分かりませんでしたが(自分なりにも無理はしてはいけないと調べていたものの、どの程度なら大丈夫でどの程度からがダメなのかが判断しづらかった。)

3月になり後遺症外来に受診した際に、これまでどう過ごしていたかを説明したところ、「とにかく今はまだ運動はしないこと、無理をしないこと、このまま『今』を無理することでゆっくりとゆっくりと一生寝たきりになっても構いませんか?お薬もありますが、とにかく安静にすることが薬であり、心穏やかに生活することも一番の薬なのです。コロナの後遺症によるME/CFSは安静にすることでよくなっている人もいますから。」と医師から怒られました。

一生寝たきりって言葉、トドメの一言ですよね。でもその位のレベルにひどいのかもしれないって分かって少しショックだったけど、霧の中で治療法も分からず、何が正しいのか間違っているのかもわからず迷子になっていた自分のポジションが分かって少しほっとして泣いたのを覚えています。

参考

筋痛性脳脊髄炎 / 慢性疲労症候群 情報サイトME/CFS info

ME/CFSに関する情報サイト(上記クリックすると飛びます。)

ある日突然、慢性疲労症候群になりました。/著 ゆらり/監修 医学博士 倉恒弘彦

慢性疲労症候群に罹患されたゆらりさんが描かれた漫画です。様々な症状がとてもイメージしやすい本でした。著者が介護士になろうと専門学校に入学するも、在学中にCFS(慢性疲労症候群)を発症され、何度も何度もどうにか働こうと奮闘するも10年間の闘病生活で徐々に症状は悪化し、線維筋痛症や化学物質過敏症なども併発したお話。現在はほぼ寝たきりとのこと。

無料イラスト素材|イラストAC まーぴーのページはこちら↓
無料イラスト素材【イラストAC】 このサイトよりも高解像度のイラストやAdobe illustratorで使用できるaiファイルはこちらをご利用ください。